2016.5.29 なぜか気になる写真の続きです。

前回の投稿では、
なぜか気になるという写真のことを書きました。

今回は、その続きです。

この写真のことをよくよく考えてみました。

そうすると、以下のようなことを思い出しました。

この写真は、
修理を終えたコンテッサ35に
初めてフィルムを通して写したもので、
36枚撮りの最後のカットでした。

この時の残り10枚くらいとなり、一気に最後まで10枚程度撮ったのですが、
白岡順さんの写真を真似て、
あえて白っぽく映るように、
シャッタースピードや絞りを意図的にずらして、
あえて白っぽくしようと、
意図的に適正ではない露出での写りとなるように撮りました。

そして、その気になる写真は、
一番最後のカットで、
1枚余っているが、どうしようか、
このまま巻き取ろうか、
無駄にはなるが何かを撮って終わってしまおうかと
構図をシビアに考えたわけでもなく、
何かピンときて、撮りたいと思って狙って撮ったわけでもなく、
たまたま、座っていたベンチからながめていた風景を撮ったものでした。

人が写らなかったらいいや、くらいに
歩道よりも、少し上向きにしただけで、
ピントを奥のビルに合わせた程度でした。

結果として、
これを撮りたいと狙っていたカット、
ピントやシャッタースピードをシビアに合わせて撮ったカット、
こうなると面白いなあと思って撮ったカット、
撮りたいと思って、ずっと狙って撮ったカット・・・。
どれも全滅に近く、
後に出す、写真くらいが、
まあ、いいかなあと思えるものでした。
実は、その写真も、白岡順さんの写真を真似て、
白っぽく撮ろうとして、シャッタースピード等を
あえて適切にしていたもの。
ピントだけは考えましたが、
このいい加減さが案外よかったのかもしれません。

そう考えていくと、
米ちゃんの銀色写真というブログに掲載されていた白岡順さんのことばが
思い出されました。

以下、引用します。

「カメラを35にして、撮りたいと思う物ではなく、何でもないものを撮りなさい。」

引用、終わり。ありがとうございました。

そう考えると、
なぜか気になる写真は、
実は、何でもないものだったのでしょうか。

そう考えると、
撮りたいものとして撮ったものが全滅に近い状態であり、
別に何でもいいやと思って撮った1枚が、
私にとって、なにか意味ある物としたら、
これが本当の「何でもないもの」を撮ったことに違いありません。

また、一歩。
作品になり得るものに巡り合えたように思います。

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