2015.2.17 撮ってたまった写真をどうするか

撮ってたまった写真をどうするか、最近考えるようになりました。
 
将来は、アマチュア写真家として、「写真家」の仲間入りをさせていただきたいと、密かに考えていますが、
ほんの数年で、かなりの量になってきました。たまってきました。
と言っても、まだデジタルであれば、データの量が増えてきたという程度ですが、フィルムで撮影していますので、ネガもずいぶんと、たまってきました。
 
以前、写真雑誌(カメラ雑誌)の記事や、新聞の記事で、読んだものですが、ご年配の方が、ご自分の作品を存命中に整理(処分)しているということが載っていました。ご自分の死語、「作品」として撮った写真も、家族にとっては「作品」とは見てくれないということ、ましてや、マニアックなテーマであればなおのこと、ゴミとして見られることがあるかもしれません。家族にその「ゴミ」扱いされるくらいなら、自分で処分した方がよいというお考えのようです。
さすがに、私はヌードのようなものは撮ったことはありませんが、「何でこんなもの撮ってるの?」と家族に言われたことがあります。
そのような訳で、家族には駄作を恥ずかしくて見せられません。
私も若いつもりですが、いつ何があるかもしれません。存命中に、写真の整理をすることも考えてもよいと思っています。
 
撮った写真のデータ、特にデジタルであれば、「数打てば、中に1枚は良いのがあるかも・・・」と思って、連写ばかりしています。
そのような場合、「作品」という観点では、作品に耐えうるものは1枚も無かったりすることが多いですね。
仕事では「使える」程度で何枚か存在する程度です。
私は、その程度の腕です。
 
この頃、駄作ばかりアップしてきて、つくづく自分の下手さ情けなさに嫌気がさし、過去の写真と決別していく気持ちがかたまってきました。
 
まずは、連写した中から良いものだけ、作品として納得したものだけを1枚残して、消していこうと思っています。
 
時々ですが、あとで見返すと、これいいなーと思えるものがあったりするので、データを全部消すのも躊躇したりする時もあります。まだまだ迷っているのが正直なところです。
 
結論としては、撮ってたまった写真を、手元に残すか、手元に残さないか、どちらか選ぶようにしたいと思っています。特にデジタルは、良いもの以外を消そうと思っています。
 
During life time, I decided that I chose the photograph which I took.
 
「The shoes which smiled」FUJIFILM Finepix F800EXR
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